「コモンロー」と「エクイティ」について

コモンロー(common law)やエクイティという言葉はよく耳にするのですが、その意味はなかなかわかりにくいものですね。「コモンローとは、大陸法やローマ法と区別された英国起源の判例法であり、制定法の対極にある。」このような説明を読むと、つい読み飛ばしてしまいたくなるのは私だけでしょうか。その上,「衡平法(エクイティ)上の….」などが出てくると、もう何のことかさっぱり分からないと感じたことはありませんか。しかし、common lawやequityの用語の意味とその歴史を重ねて考えることにより、少しは理解できると思います。

世界各国が採用している法は、大きく分けると大陸法と英米法に2分されます。英米法を採用しているのは、英国や米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インドなどです。これに対する大陸法に属する国として、ドイツやフランスなどがあげられます。大陸法の「大陸」とは、勿論ヨーロッパ大陸のことであり、大陸法の起源は、「ローマ法大全」にまで遡るものです。それ故に、大陸法は、法としてはじめから確定したもの、すなわち、制定法(statute law)主義といわれます。ローマ法の影響を受けたヨーロッパが大陸法系に属するのは、当然のことですが、日本が大陸法系に属するというのは、ちょっと意外と感じられる方も多いと思います。日本はドイツ法を採用したために大陸法に属するのですが、ただ、第二次大戦後は、米国法の影響を大きく受けています。この大陸法に対する英米法の法体系が一般に広くコモンロー(common law)と呼ばれています。(ただ、英米法においては、立法府によって制定された法体系に対し、判例法として形成されてきた慣習法体系を指すとも言われています。)

では、ここで、判例法と衡平法が英国においてどのようにして生まれたのかをみてみましょう。それにより、コモンロー(common law)や衡平法(equity)の意味がよく理解できると思います。

大陸法が「ローマ法大全」を基にした制定法(法として確定すること)であるのに対し、英米法は、各地の民族間紛争を解決するためにイギリスの国王裁判所によりなされた判決(判例)や各民族間の慣習を基にして、各民族間の共通の法、すなわちコモンロー(common law)として生まれた判例法(個々の裁判において下された判決が拘束力を持つ先例となり、その後類似した事件を裁くときにはその先例に従って判決が下される)なのです。国王裁判所が運用したコモンローは、厳格で、柔軟性に欠け、個々のケースに十分に対応できませんでした。正義と衡平(equity)の見地から当然自分には救済が与えられて然るべきと考える者が国王に請願を提出するようになり、こうした不服の請願を受けた国王は、大法官(Load Chancery)に事件ごとに大法官自らの裁量で不服申立て者に救済を与えさせたのです。この大法官による裁判が衡平法による裁判の始まりで、こうして、衡平法(エクイティ)がコモンローと並ぶ独立した法体系とみられるようになりました。よく、コモンロー上の救済(remedies at law)とか、エクイティ(衡平法)上の救済(remedies in equity)とかいいますが、こうしたイギリスの歴史を考えると、コモンローでは十分に救済されない場合にエクイティ(衡平法)により補われた救済であることが分かると思います。19世紀半ば頃まで、コモンロー上の救済と衡平法上の救済を受けるためには別々の手続きが必要でしたが、現在では、こうした煩雑さや不都合さをなくすために、コモンローと衡平法の統合が行われ、1つとして扱われています。しかし、未だにこのような異なった表現が英文契約書において使用されているのです。

コモンローやエクイティの意味を正確にとらえるのは難しいと思いますが、何となく分かっていただけたら、英文契約書翻訳においてはそれで十分だと思います。