正確かつ忠実な翻訳

海外の小説などを日本で出版する場合の出版契約の中に、翻訳版の品質に関する条項があります。そこには、ほとんど決まり文句のように ”The translation of the Work shall be accurate and faithful”という表現が出てきます。意味は「本作品の翻訳は、正確かつ忠実に行う」ということです。文芸物の翻訳の品質として求められる要素は、決して「正確」と「忠実」だけではありませんが(この2つに加え、”idiomatic translation”「こなれた翻訳」であることが求められることもあります)、正確かつ忠実であることは翻訳に対して最低限要求される要素であるということを覚えておいてください。まず、正確かつ忠実に訳し、さらにこなれた訳文とする。これがよい訳文を作るうえでの基本的な条件なのです。

正確かつ忠実な翻訳は、ビジネス翻訳ではきわめて重要な要素です。特に「正確さ」は、契約書翻訳では最も重要な要素といえます。誤訳を避けなければならないことはもちろんですが、同時に読み手に誤解を与えるような表現も英文契約書の翻訳では避けなければなりません。たとえば、定義語でthe Productsを「本製品」「本件製品」とするのも、「製品」とすると、読み手が、他の一般の製品のことだと誤解してしまう可能性があるからです。場合によっては読点1つで意味が変わってしまい、読み手に異なる解釈をさせてしまうことがあります。このようなことを避けるためにも、見直しの際に訳文を何度も読み返し、違う意味に解釈されないかを十分確認するようにしてください。

では、忠実な翻訳とはどういう翻訳のことをいうのでしょうか。第一に原文に忠実であることが求められます。原文に忠実であることが必ずしも逐語訳であることを意味しているわけではありません。語順を入れ替えたり、原文にない語句を補って訳したりすることが必要になる場合もあります。忠実な翻訳というのは原文の意図を忠実に訳出することと考えるべきでしょう。もう一つ忠実である必要があるのは文法に対してです。契約書翻訳では特に文法に忠実に訳す必要があります。正しい英文法を調べるためには、高校レベルの文法書を手元においておくとよいでしょう。必ずしも使用頻度は高くありませんが、いざという時にはきっと役に立つと思います。

契約書翻訳の通信教育の添削で「原文や文法に忠実に訳してください」とコメントをすることがあります。このようなコメントを受けたことがある人は十分注意してください。いろいろなコメントの中ではかなり厳しいコメントだということを認識していただきたいのです。基本は正確かつ忠実であることです。まず、正確かつ忠実に訳すことをこころがけてください。いたずらに美しい表現を追いかけることは学習段階では避けたほうがよいでしょう。正確かつ忠実に訳すことができれば、自然とこなれた訳文になってくるものなのです。皆さん、がんばってください。
(執筆:吉野弘人)