裏を取った?

契約書翻訳を学び始めた人が最初に迷うのは会社名などの固有名詞の表記の仕方ではないでしょうか。契約書の前文には、必ず当事者の名称や住所が出てきます。こういった固有名詞を日本語表記にする場合は、必ず正しい日本語表記を確認しなければなりません。特に日本の会社の場合は、株式会社が社名の前に来るのか、後に来るのかの違いで別の会社を指すことにもなりかねません。契約書翻訳の場合は、まず正式な日本語表記を確認してその表記に従うことが原則です。ただし、日本に営業所がない会社のように正式な日本語表記がない場合は、その会社が日本語による社名をウェブやメディアなどで公表していないかぎり、英文表記のままとします(住所については、原則英文表記です)。このように会社名などの固有名詞の訳は、しっかりと裏を取ることが重要なのです。決して、想像で訳をあててはいけません。

固有名詞に限らず、翻訳全般についても、裏を取るという作業は重要な意味を持っています。皆さんは、訳文を作るときに辞書や参考書を使って調べることと思います。しかし、辞書や参考書に常に正しいことが書いてあるとはかぎりません。これは、リーダーズやランダムハウス、英米法辞典といった有名な辞書も例外ではありません。これらの辞書が信頼できないというわけではありませんが、辞書にある訳語がすべてのケースに当てはまるわけではなく、また時間の経過とともに一般的な表現でなくなっている可能性もあるからです。辞書で単語の意味を調べたときは、その訳語をそのままあてるのではなく、その表現が本当に文脈においてベストな訳語なのかについて、複数の情報源にあたって裏を取る必要があります。なかでも、専門用語には注意が必要です。自分が詳しくない分野の専門用語は辞書にそれらしい訳語が載っていると安心してしまい、よく内容を理解しないままに使ってしまいがちです。英和辞典で見つけた訳語をもう一度専門用語辞典で意味を確認したり、実際にその用語がどのように使われているかを確認したりした上で訳語をあてることをお勧めします。

インターネットの検索を駆使して、その訳が現在一般的に使われている表現なのかどうかを確認することができます。たとえば、”license grant”の訳には「ライセンス許諾」、「ライセンス付与」、「ライセンス供与」といった訳が考えられます。3つの訳はいずれも正解なのですが、この中で契約書翻訳において最も一般的な(よく使われている)表現はどれでしょうか。インターネットの検索サイトで調べてみると、最近は「ライセンス供与」という表現がかなり一般的に使われていることがわかります。

裏を取るということは自分の訳語・訳文の根拠を確認するという作業です。根拠を確認することで、訳文の完成度が高まるのです。自分が作った訳文に今ひとつ自信がないときは、もう一度裏を取るよう心がけてください。自分の訳文の根拠が明確になれば、きっと自信を持って訳文を提出することができるでしょう。ぜひこころがけてください。
(執筆:吉野弘人)