不作為

作為とは何かをすることで、不作為とは何もしないことだという説明について、何の疑いも持っていなかったのですが、先日、「不作為」という言葉について詳しく調べてみる機会があったので、有斐閣の「法律用語辞典」をみました。そこには、「何もしないこと、又は一定の行為をしないこと」と説明されていました。さらに、これを英語で何というかを調べるため、田中英夫著の「英米法辞典」をみると、omission/nonfeasance/neglectが該当しており、その意味は「何もしないのではなく、なすべきことを(まったく)しないこと」という説明がありました。この最も権威ある2つの辞書の説明を読み比べて、微妙な相違があることに気付きます。つまり、「何もしないこと」と「なすべきことをしないこと」とは同一ではないのです。

「何もしないこと」については、あきらかに矛盾があります。たとえ寝ている時でも睡眠という行為を行っているのですから、いかなる人間にとっても「何もしないこと」などありえないのではないでしょうか。となると、「なすべきことをなさないこと」という説明がわかりやすくなります。たとえば、大量殺戮兵器を破棄しなければならないのに、その義務を果たそうとしないイラクのフセイン大統領は、まさに「不作為の罪」をおかしているといえます。しかし、この説明にも100パーセント納得できない点があります。つまり、対象が「なすべきこと」に限定されてしまい、それ以外の行為をしない場合には「不作為」にならないのか、という疑問が出てくるからです。たとえば、酒をのまない、タバコを吸わない、競合取引きをしない、立ち退かない、家を建てない、迷惑をかけないなどです。

そこで、反対語の「作為」を調べてみると、有斐閣では「人の行為のうちの特定の行為に着目したとき、…当該行為を行うこと(積極的挙動)を作為という」と説明されています。因みに、英米法辞典では、作為をaction/feasanceといい、単に「作為・行為」と訳されているだけです。

このように考察してきて、わたしが到達した結論は、「不作為とは、何もなさないのではなく、またなすべきか否かを問わず、一定の行為をなさないこと」という解釈です。さて、皆さんはどのようにお考えでしょうか。ご意見、ご批判などいただければ幸いです。
(執筆:通学担当講師)